↓クリックのご協力よろしくお願いします↓
さてさて。
ゴマブッ子の昼ドラ風ドロドロ小説
怖い女
をご検討中の方もいると思うのですが
第1話だけブログにてチラヨミできるよう配信することになりました。
こちらは入稿前のデータからUPしておりますので
この後、修正も入っております。 行間も変ですが。
実際の書籍とは若干異なりますがお読みください。
(長すぎてケータイでは最後まで表示されない方がいたらご連絡ください)
怖い女
第一話
私を思い出して
先日はご馳走様でした。
お店に行ったのは初めてでしたが、とても美味しくて最高でした。
オススメしていただいたワイン(名前は忘れてしまいましたが私のブログに写メをUPしていますので、もしよかったら名前を教えてください)も料理に合って飲みやすかったです。
また食べに行きますね!
私のこと、覚えていてくれると嬉しいです。
ミカっち
※※※
文面を何度も念入りに読み返してから、コメント投稿ボタンを押した。
銀座にあるイタリアンレストランの人気シェフのブログ、「今夜もイタリアン」。
そのブログの最新記事に、コメントを残したのだ。
彼は私のコメントを読んでくれるか。
コメントを読んだ彼が私のブログに遊びに来てくれるか。
いい年してミカっちなどというニックネームを使っている痛い奴だと思われないだろうか。
月曜の午前十時にブログにコメントするなんて、暇で駄目な女だと思われないだろうか。
ワインの感想が単に「飲みやすかった」なんて、語彙が少なく飲み慣れていない安っぽい女だと思われないだろうか。
そして何より、三日前に私が彼の店を訪れ、ワインについて何度も質問をして、オススメの銘柄を教えてもらった、あの時の女だということを覚えてくれているか。
想いが次から次へと溢れ出す。彼からの返信がないかどうか気になって、来ない手紙を郵便受けの前で待つように、今日は何度も何度も彼のブログを覗いてしまいそうな予感がした。
連休明けで忙しいにもかかわらず、仕事が全然手につかない。
背後の上司の目を気にしながら、パソコン画面のウィンドウを小さくして、自分のブログ「もうすぐアラフォー」のページを開いた。
彼の店を訪れたこと。美味しい料理に感動したこと。お勧めのワインを教えてもらったこと。
でも、その肝心のワインの名前を忘れてしまったこと。またお店に行きたいこと。
それらを、簡単に書いて、画像つきでUPした。
料理の画像、ワインの画像、そして、彼と写ったツーショット写真。
突然のお願いにもかかわらず、満面の笑みで私と写真に写ってくれた彼。
彼も私と再会することができて嬉しかったのかもしれない。
そんな風に想像すると、胸の奥がじわりと温まってとろけるような何ともいえない気持ちになる。
落ち着いて。落ち着いて。私は興奮している自分に強く言い聞かせた。
本当は、彼が勧めてくれたワインの名前はしっかり憶えていた。
その名は、ランゲ・ビアンコ・ヴィーニャ・マエストロ。一本六千円の白ワインだった。
彼が勧めてくれたから、彼が私のために選んでくれたから――。
月給二十五万円のOLには贅沢だけど、ケチな女だと思われたくなくて、それを頼んだ。
忘れるはずがない。大好きな彼が私にオススメしてくれたワインを。
でも、彼ともっと近づくきっかけが欲しくて、ワインの名前を忘れた振りをして彼のブログに質問を含むコメントを残した。自分のブログのアドレスも記して。
彼が訪れるまで、私はブログを更新しない。
お店について書いた記事がトップに表示されていれば、彼もコメントを残しやすいはずだから。
彼は、私のブログに遊びに来てくれるだろうか。そして、私のブログにコメントを残してくれるだろうか。
彼は、背がすらっと高く、白く陶器のような肌をして、料理をする指先が細く長く、どことなく気品を感じさせる。それに加えての甘いマスクゆえ、女性ファンが多く、最近では気鋭の若手シェフとしてテレビや雑誌にもよく出ている有名人だ。
私は彼のブログを毎日チェックしている。でも、ただのファンではない。
私と彼との出会いはもっと複雑で、歴史もある。
十五年前、私が二十歳の時。
岩手の田舎から東京の大学に進学した私は、都会育ちの洗練された女子大生に圧倒されながらも、それなりに楽しい大学生活を楽しんでいた。
当時、私には、ひろしくんという名前の彼氏がいた。
私にミカっちというニックネームをつけてくれたひろしくん。趣味でバンドを組んで、ギターを弾いていたひろしくん。ロッカー気取りで髪を肩まで伸ばして、夏でも革のブーツを履いていたひろしくん。大学の飲み会でたまたま隣に座った。
耳にはいくつもピアスをしていて、何か怖そうだなって思ったけど、私とひろしくんにはある共通点があった。
それは、九○年代前半、アイドル冬の時代と呼ばれた頃に活動していた七人組女性アイドルグループ「すもも」のファンだったこと。
大学に入る頃にはすでに解散してしまっていたが、岩手の高校時代は、発売日にCDを買いコンサートにも行きファンクラブにも入るほど、私は熱狂的なすももファンだった。
今となっては、彼女たちの何にそんなに惹かれていたのかはわからない。とにかく、後にも先にも女性アイドルグループのファンになったのはすももだけだった。
たまたま飲み会ですもものことが話題になり、ひろしくんもファンだったということで意気投合した。
それから何となく二人で会うようになり、三回目のデートで行ったボーリング場で、彼がストライクを出した時に告白された。
ある夏の日、私は千葉にあるひろしくんの実家に遊びに行った。夜遅く、ひろしくんのバンド仲間のかずおくんとその彼女の四人でドライブに出かけた。かずおくんの運転でただあてもなく走り続けた。そのうち車は国道から分かれた細い道を上り、住宅地に入っていった。
しばらくして、「皆川」という表札の掛けられた二階建ての家の前で車が止まり、ひろしくんが面白そうに言った。
「ミカっち、知ってる? ここがなんと皆川亜紀の実家なんだよ」
「えっ?」
すもものメンバーの中でも地味で、いつも端のほうにいて、目立たない存在だった皆川亜紀。
でも、私は割りと好きだった。確かに、七人の中で唯一、千葉県出身だった。まさか皆川亜紀の実家にわざわざ連れてこられるとは思わなかったけれど、ミーハーな私はちょっとわくわくした。
「記念写真撮ってあげるよ」
そう、かずおくんに言われ、私とひろしくんは車から降り、蛙の声が遠くに聞こえる暗闇の中、「皆川」と書かれた表札の横に並んで立った。ひろしくんが汗ばんだ腕で私の肩に手を回した。
もう、午前二時だし、家の人も寝ているだろう。気づかれないように早く写真を撮ってしまおう。
そのとき、急に犬が吠えだした。皆川亜紀が実家で柴犬を飼い始めたという記事を、昔、雑誌で読んだっけ。いとこの家の犬と同じ名前だったことを思い出し、思わず、「ジョン?」と呟いた。
その直後、がらっと網戸を開ける音がして、二階から怒鳴り声が聞こえた。
「何やってんだ!」
見上げると誰かがベランダから顔を出している。そして目が合った。男の人。若い。一瞬の出来事だったにもかかわらず、その顔を見て「タイプかも」って思った。
雑誌には、皆川亜紀に弟がいることも書いてあったことを思い出した。
「いいから、急いで撮っちゃおうぜ」
かずおくんがそう言って「写ルンです」のシャッターボタンを押した。フラッシュの光で、目の前が一瞬真っ白になった。
「おい! 警察呼ぶぞ」
二階から、再び声が聞こえると同時に、私達は走り出し、急いで車に乗り込んだ。
心臓が止まるかと思った。ドキドキした。警察に通報されるかと思った。怖かった。脚がガタガタ震えていた。
そのまま四人で国道沿いのファミレスで過ごし、明け方、かずおくんたちとは別れて、私はひろしくんの実家で初めて抱かれた。
それでも震えは止まらなかった。
「何やってんだ!」
あの顔と声が、なぜだかいつまでも私の脳裏に焼き付いて離れなかった。
それが私と皆川英俊との運命の出会いだった。
卒業後、私は専門商社に一般職として就職し、ひろしくんは就職せずバイトで食いつなぎながら音楽活動を続け、話が合わなくなりすぐに別れた。
その後、合コンや友人の紹介で何人かと付き合ったけれど、みんな結婚の話が出る前に私の前から消えていった。
そして月日はあっという間に流れ、気がつけば私は三十五歳。電話に出てデータを処理するという仕事内容は二十代の頃と同じまま、肩身の狭いお局様になっていた。
ある日の昼休み、社員食堂で、いつものように一人でコンビニのお弁当をつついていると、近くに座った若い女の子たちが、皆川英俊のレストランで食事をしたと盛り上がっていた。
二カ月先まで予約でいっぱいの人気店の予約がやっと取れたらしい。「美味しかった」、「シェフがイケメンだった」とはしゃいでいた。
皆川英俊、みなかわ、ミナカワ……何かひっかかるものを感じて、すぐに机に戻り、インターネットでその名前を検索した。そして、彼のブログにたどりついた。
その日のブログには、愛犬の柴犬のジョンが、千葉の実家で息を引き取り安らかな眠りについたと書かれていた。
それほど長くはない文章だった。でも彼の言葉のひとつひとつが、ジョンへの愛情の深さを物語っていた。
皆川、ジョン……、大学時代のあの夏の夜のことを思い出した。彼が、あのときの人だ。そして、なぜかわからないけど、涙があふれた。
「何やってるんだ!」
あの声を思い出した。そして、あの夜、一目惚れをしたあの顔を思い出した。
私は十五年の時を経てまた胸がときめいた。
その日から、彼のブログを読むのが日課になった。
彼のブログ、「今夜もイタリアン」にはお店のことはもちろん、彼の趣味の話や愛用品なども紹介されていた。
読めば読むほど、私は皆川英俊に惹かれた。恋をしてしまったのかもしれない。
ときどき、姉であり、元すももの皆川亜紀のことも書かれていた。皆川亜紀は、その後、単身でイギリスへ渡り、現地の男性と結婚したようだ。
彼のブログのコメント欄には彼のファンであろう女たちが、こぞって書き込みをしていた。
みんな、彼から返信をもらおう、自分のことを覚えてもらおうと必死なのが伝わってくる。
素敵ですね!
おいしそうですね!
皆川さん、かっこいいです!
好きな食べ物は何ですか?
私も店に行きました!
あわよくば知り合いになりたい、そしてあわよくばお付き合いがしたい、とそんな下心が透けて見えるコメントを残していく女たち。
返信をもらえないからと、「もう、ファンをやめます! お店にも行きません!」などど逆切れのコメントをしている女もいた。
本当にバカバカしい。
彼は有名人なのよ。人気シェフなの。単なるファンであるあなたたちが相手にされるわけがないじゃない。
でも、私はあなたたちとは違う。
だって私は彼に直接怒られたことがある……。まだ十代だった、有名になる前の彼に怒られたことがある。
あなたたちが知らない彼を、私は知っている。
だから……だから……。
とにかく、皆川のブログを読めば読むほど、文章から伺い知れる彼の人柄に惹かれていったし、他の女たちとは違って昔の彼を知る自分が特別なような気がして、どんどん好きになっていった。
そして私は、彼に直接会ってみたくなった。
レストランに電話をした。二カ月先まで予約でいっぱいの店だと聞いていたが、一人なら来週金曜日の夜、遅めの時間帯に予約が取れると言われ、迷わずお願いした。
その週末、私はいつもの近所の美容室ではなく、女性誌で紹介されていた青山のサロンへ行き、髪を切った。彼がブログでファンだと書いていた若手女優の雑誌の切り抜きを見せ、同じ髪型にしてもらった。黒くて地味な髪の色も少し明るく茶色にしてもらった。
美容院の近くにあったセレクトショップで、服も買った。最近のファッションはとんとわからないので、高そうなお店のショーウィンドウでマネキンが着ていた服を丸ごと買った。
それから靴も。人気のレストランにふさわしい上品なサテン素材のピンヒール。履きなれていないものだから、家の姿見の前で何度も履いて、モデルをイメージしながら華麗な歩き方を練習した。
そして、皆川英俊の店のホームページをチェックして、今月のメニューも調べた。当日、メニューを見て迷う素振りを見せると、こういうお店で食事をするのに慣れてないのがばれてしまうから。
準備を進めるうちに、私の胸はますます高鳴った。
三十五歳。
いろいろ諦めかけていたけれど、生きていてよかった。
私の人生はこれから始まるんだ。
皆川英俊に会える。
あの夜、顔は見えなかったけれど私を叱ってくれたあの人に会える。
会える。会える。もうすぐ会える。
そして、私の新しい人生がはじまる。
私と彼との新しい人生。
どうしよう。私、何をこんなに浮かれているの。でも、わかってくれるはず。
だって、私は彼のブログを毎日読んでるし、彼のことを毎日考えているし、彼のことを毎日応援しているし、何より彼のことがこんなにも好きなんだから。
彼だってわかってくれる。私の一途な気持ちを受け止めてくれる。
金曜日の夜、九時半。
私は彼のレストランを訪れた。興奮しすぎてよく覚えていないけど、入口のすぐ目の前にレジがあり、その奥に厨房、右手にはゆったりとしたソファー席の半個室があった。そして左手には四人掛けのテーブルが七卓、その奥に二人掛けのテーブルが一卓。想像していたよりも狭くて驚いた。シェフの目が行き届く広さにこだわっているのかもしれない。落ち着きのある木目調の空間が少しだけ私の緊張を和らげてくれた。
私が案内された席は、店の一番奥にある二人掛けのトイレ脇の席だった。
一人でぽつんと座っていると、急に淋しくなった。周りはカップルや女子会、合コンのようなテーブルばかりで、どの席もワインを片手に賑わっている。金曜の夜に一人で来るような客は私しかいないようだ。
しばらくテーブルを見つめているうちに、むしろその状況をポジティブに捉えるべきだと考えが変わった。
目立つ。私は今、目立っている。この店にたった一人でいることで、私は目立っている。
だから、きっと彼の印象にも残るだろう。
その考えに嬉しくなった私は、メニューを運んできたウェイターに、思わず、「シェフの皆川さんを呼んでいただけませんか」と言ってしまった。
よくよく考えれば忙しい人だから、お店にいないこともあるだろうし、いたとしても厨房で料理の真っ最中かもしれないのに、舞い上がってしまった私はそんなことすら気が回らないでいた。
十分ほどして、
「こんばんは」
と、あの皆川英俊が私の正面に立っていた。
あの時と同じ声。
笑顔で彼は私に話しかけてくれた。
「あ……あの……お忙しいのにすみません。いつもブログ読んでます……じゃなくって、ワインを……頼みたいのですが、何かオススメがあれば……」
心臓が口から飛び出しそう、というのはこういうことか。しどろもどろで私は皆川にそう告げた。
そして彼はランゲ・ビアンコ・ヴィーニャ・マエストロというワインを勧めてくれた。
彼が選んだワイン。彼が私のためだけに選んでくれたワイン。
「あ……あの。写真を……」
そう言って、私は足元の鞄からデジカメを取り出した。
あの夜、彼の実家の前で、記念写真を撮った。
そして、今夜、私は彼の店で、二人の写真を撮る。
ここから、始まる。私と彼の伝説が始まる。
あまりにも興奮して、私の顔は真っ赤だったに違いない。
まだ食前酒も飲んでいないのに、料理もオーダーしていないのに、シェフに記念撮影をお願いするだなんて、変な客だと思われているだろう。
でも、憧れの人で、大好きな人で、運命の人である皆川をついに目の前にして、私はおかしくなっていた。
ウェイターがカメラのシャッターを押した。あの時と同じく、フラッシュで一瞬目の前が真っ白になった。
「料理をぜひ楽しんでください」
その声で私は現実に引き戻された。
そして、彼は私に会釈して厨房へと戻っていった。私は運ばれたワインの写真を撮り、オーダーした料理の写真を撮り、一人で壁を見つめながら食事を済ませた。それっきり、彼は私のテーブルに来ることはなかった。もしかしたら、私のテーブルにまた来てくれるかもしれないと、厨房の方を何度も何度も振り返っては待っていたのに。
そればかりか、彼の姿をずっと追いかけていたせいで見たくもない光景を見てしまった。
トイレに向かう女性に、彼がレジの前で声をかけて、何かカードに書きこんで渡していた。
嬉しそうに微笑む女。私と話していた時よりも楽しげに話す彼。会話は聞こえないけど、なんだか見てはいけないものを見てしまった気がして胸の奥がズキズキと痛んだ。
料理の味は憶えていない。憶えているのは、食後のコーヒーが砂糖を入れても入れても苦かったことだけ。
店を出て家に向う地下鉄の中、慣れないヒールで痛むつま先を見つめながら涙があふれた。
そのまま、周囲の視線も構わず私は号泣した。
思い描いていたのはこんなんじゃなかった。もっとお話しをして、もっと親しくなって、今度二人で食事に行きましょうなんて誘われて、メールアドレスを交換して。
それで、それで……。
なのに、これじゃ、私はただのミーハーな女に過ぎない。
有名シェフのブログにコメントを残して、自分が有名人とお近づきになれた気がしている、他の女と変わりないじゃない。
ううん。
これでいい。最初はこのくらいでいいのよ。これからだもん。
これから育んでいけばいいんだもん。少し時間を置いて、ブログを更新しよう。
そして、彼のブログにコメントを残そう。すぐに行動にうつすとせっかちで重い女だと思われるかもしれない。
だから少し時間を置いて。余裕のある女を演出しよう。
そして、十五年前のあの出来事を話してみよう。
きっと彼も覚えていてくれるはず。
あの夜は運命だった。
そう彼も思ってくれるはず。
そして、私は自分のブログに彼とのツーショット写真をアップし、彼のブログにコメントを残し、ただひたすら待っている。
彼からのアクションを待っている。
早く私のコメントに気づいて。そして私のブログを読んで。私の質問に答えて。そして私を思い出して。
ふたりで撮った思い出の写真。どうか……どうか……思い出してください。
そして、私を誘ってください……。
※※※※※
「松田さん」
急に背後から名前を呼ばれて、私は悲鳴を上げた。振り向くと派遣社員の青山美奈が、口を歪めて、苛立たしそうに立っていた。即座にウィンドウを閉じて、ウェブ画面を消した。
「この注文書、間違ってましたよ。急いで直してもらえませんか」
「あ……。ごめん。すぐ直す」
「松田さん、大丈夫ですか。最近、ぼーっとしていること、多くないですか? この前もお客様のサイズを間違って発注していたし、昨日だって……」
「ごめん、すぐ直すから」
ああ。早く目の前から消えてくれないかな……。私、忙しいの。
何度注意しても私のことを店長と呼ばない青山の手から注文書を奪い取り、デスクに向って注文書を直す振りをした。しばらくして、彼女が立ち去ったのを確認してから、再びパソコン画面に向って、皆川英俊のブログを開いた。
私の名前は松田明日香。二十七歳。
銀座の一角にあるブライダルジュエリー専門店「ハッピーリング」で店長をしている。この銀座店は全国に三六店舗、海外はソウル、北京、台北の三店舗を展開している「ハッピーリング」の本店になる。「店長なんて凄いですね」って言われることもあるけど、たいした仕事じゃない。だって私がここに就職して本当にしたかった仕事は店長なんかじゃなかったから。
もちろん店長を任されている以上、表向きは「ブライダルリングという二人の愛の証を探すお手伝いをしたい。結婚という幸せに携わるということが私の幸せです」という顔をしながら、私は毎日毎日、結婚の決まった幸せそうなカップルを見ながら働いていた。
羨ましいと思うこともあったけれど、指輪を選びながら好みのデザインが違うことで互いに一歩も譲らず喧嘩を始めたり、値段のことで揉めて「別れたら質屋に売ればいい」と嫌味を言い合い不機嫌になったり、そんなカップルを毎日毎日見ていると複雑な気持ちだった。
結婚っていったい何なんだろう……。
両親が厳しく家でも緊張して過ごすことが多かったからか、温かくて安らぎのある家庭に憧れがあった。そして、子どもができたらたくさん愛情を注ぎたいと十代の頃から思っていた。
だから、その憧れの結婚にかかわる夢のある仕事として割り切ってしまえばいいのかもしれない。でも、今の私には誰かの幸せのお手伝いをすることで充実感なんてなく、正直とてつもなく退屈な仕事だとしか思えない。なぜ、店長なんかしているのだろうと考え出すとキリがない。
私はブスではないが決して美人なほうでもない。肌が綺麗だと褒められることは多い。几帳面で負けず嫌いな性格のせいか、目が少しきつそうだと自分でも思うこともあるが、まあ、ありふれた顔だろう。例えばドロドロとした学園ドラマで薄幸のヒロインを演じる女優は透明感があって誰が見ても可愛らしい。そしてそのヒロインを苛めるお嬢様役は男好きする派手な美人。私はきっとお嬢様の引き立て役として取り巻いている三人組の子分の一人。地味で華がなくて目立たなくて、いてもいなくても、誰が演じても変わらない普通の女。名前も与えてもらえない女生徒Bとかそんな肩書き。
そう。店長なんて肩書きは、私にとってあってもなくてもいいようなもの。毎日つまらない。
こんなはずじゃなかった。仕事を辞めて結婚したい。でも、そんな相手もいないから仕事を辞めるわけにはいかない。私は仕事にも女としての人生にもやりがいを見いだせないまま、逃げ場のない毎日を送っていた。
でも、そんな湿った砂の色をしたような毎日が、バラ色に変わる出来事が起きた。
私は、今、皆川英俊と付き合っている。
この店から目と鼻の先にある、イタリアンレストラン「ヒデ・ミナガワ」のシェフ皆川英俊。
そう、私はあの人気シェフの彼女。付き合って三カ月になる。
彼はテレビにも出るほどの有名人だ。そんな彼と付き合えるなんて夢のよう。
職場のみんなで彼の店で食事をした時、私だけ皆川英俊からメアドを渡された。
客の私にアプローチするなんて、軽い男。最初はそう思った。でも、あんな人気者が彼氏だったら、みんな私のことが羨ましくて仕方がないはず。
そして私たちは付き合い始めた。
四六時中彼のことを考え、彼の言葉や彼に触れられたことなどを思い出して幸福に浸った。
それと同時に、だんだんと心配が増してきた。
私は、過去に付き合っていた人から裏切られたトラウマがあるので、彼も同じように裏切らないか。例えば私に飽きたりしないか、浮気をしないか、店に来る女性に手を出さないか、心配になっては暗い気持ちになった。
そして、予感は的中した。
一カ月前には「明日香のお店で、一番高くて、一番大きくて、一番キラキラ輝く、ダイヤモンドの指輪をプレゼントしたい」って言ってくれていたのに、その後電話もメールも突然途絶えて会えなくなり、何度連絡しても一切反応がない。
やっぱり、他の女に手を出しているかもしれない。最後に彼の部屋で会った夜、わざわざ玄関の外に出て誰かに電話をしていた。仕事の電話だと言っていたけど、あれは他の女への電話だったのかもしれない。
きっとそう。他の女と浮気してるに違いない。
許せない。
こうなったら、まずは、彼の浮気相手を探すしかない。
きっと、私の時みたいに、店に来た女の子に手を出したに違いない。
もし、彼に言い寄られている女がいれば、きっと浮かれて彼のブログにコメントするだろう。
どうせミーハーな女だろうから、目立ちたくてきっとブログにコメントするはず。
他の誰にもわからないよう、秘密の暗号のように、彼のブログにその女は自慢コメントを残すだろう。
だから私は監視することにした。彼のブログにコメントを残す女たちを。
そして、見つけてやることにした。彼が浮気している女を。
見つけたら、その女を何とかして潰してやるつもりだった。
潰してしまえば、きっと彼はまた私に夢中になってくれる。
そう決心して、三週間。
仕事中も家にいる時も外出中も、彼のブログから目が離せない。
彼のブログに書き込まれたコメントをひとつひとつ読んで、リンク先を記入している場合、そのブログはくまなくチェックする。
幸い、私の働くブライダルジュエリー店の事務所には、インターネットを使用できるパソコンが一台だけ置かれていた。
店内は白とピンクで彩られていてまさに花嫁が好みそうな可愛い内装で、一階が商品の展示スペースになっており、急な階段を上がった二階は商談スペースと高額品の展示スペースになっている。店で一番高価なダイヤモンドは、この二階のショーケースに飾られてあった。商談スペースを二階にすることによって客が帰りにくい環境を作り、売り込んで買わせるのが会社の戦略だった。
そして、その商談スペースの奥に四畳ほどの事務所があった。
土日祝日の店内はカップルで賑わうが、平日の昼間に訪れる客は少ない。
だから、私は事務作業をするように見せかけて事務所に閉じこもり、時間の許す限り彼のブログをチェックすることが出来た。
とは言っても十二月は忙しい時期。クリスマスにプロポーズや入籍を考えているカップルも多く、注文や納期確認、届いたリングの検品作業や仕入れ入力、そしてリングの入荷を知らせるお客様への電話など、事務仕事が山積みだ。
あとであとでと思いながら、三日前に届いたリングもまだ手つかずの状態だ。そろそろちゃんとしないとまずいというのはわかっているけれど、一向にブログチェックがやめられない。
さっきも、ミカっちという名の女のコメントを読み、そしてその女のブログへ飛んで過去の日記から読み耽ってしまった。コメントの内容と女のブログを読めば、その女が皆川とどんな関係でどんな気持ちでコメントを残したかを、だいたい想像することができた。
そう、すべては私の妄想。
ミカっちが岩手出身というのも、ミカっちにひろしくんという彼氏がいたことも、全部、全部、私の妄想。
ミカっちが彼の実家を訪れたことがあったかどうかは知らないが、私は彼から聞いたある話を憶えていた。
ベッドの中で彼は言った。
姉の皆川亜紀がアイドルだったから、昼だろうと夜だろうとかまわず、実家の周りをファンたちがウロウロしていて迷惑だった、と。
そんな彼を私は愛おしく思った。
きっと、ミカっちという女は、彼の実家を訪れた迷惑なファンの一人に決まってるんだ。
私の妄想は絶対に正しい。
ミカっちは、大丈夫そうね。
彼女のブログには仕事の愚痴しか書かれていない。
仕事もできずただ年齢だけ重ねたお局様。
毎日毎日、疲れと諦めが蓄積していくだけの悲しい女。
都会に染まり切れなかった元ミーハー娘。
そんな彼女が見つけたのが、有名シェフの皆川英俊という癒しだったのだろう。
彼がそんな女を相手にするわけない。単なる前のめりで迷惑な女。
無理矢理お願いしたであろうツーショット写真に写るミカっちは、ひと昔前の濃いメイクを施し、流行を意識したヘアスタイルとはアンバランス。絶対に彼の好みじゃない。
でも、ミカっちは誰かに自慢したくて仕方なかったんだろうな。だから、ブログにツーショット写真を掲載した。
バカな女。恥ずかしい女。可哀想な女。
大丈夫。
この女は敵じゃない。敵にもならない。それ未満のレベル。
大丈夫。
皆川英俊は、この女とは浮気をしていない。
でも、念のため、私はミカっちという女のブログ、「もうすぐアラフォー」にコメントを残した。
ババア、キモい。
皆川さんがおまえのことなんて
覚えてるわけねーだろ! ウザい!
メキハド
これでよし。
他の女たちも同じようなコメントを残して、このブログは荒れるだろう。もしかしたら、ミカっちはショックを受けてブログを閉鎖しちゃうかもしれない。
そんなの知ったことじゃない。
私の彼に、皆川英俊に近づこうとするのが悪い。嫌らしい好意むき出しの、えげつないこの女が悪いのだ!
ここまですれば、この女はもう彼には近づかないだろう。
私には時間が足りない。今日は彼のブログに四十人もの女がコメントを残している。朝から順番にその女たちをチェックしているのに、ミカっちでまだ四人目。あのいい加減な青山が遅刻をしてきたものだから、朝のミーティングの終了がいつもより遅くなってしまった。だからブログをチェックする時間まで遅れてしまった。
次の女を早くチェックしなきゃ。
その女が彼と浮気する可能性があるかどうかチェックしなきゃ。
それなのに、こんなときに青山の奴。注文書を直せだなんて、余計な仕事を増やしやがって。
とりあえず次の女をチェックしたら仕事に戻ろう。
それでまたチェックを再開しよう。
次の女のコメントは……。
私は再び、皆川英俊のブログを読み始めた。
続きは 書店 か アマゾン にて 怖い女をお求めください。