第13話それから数日が経ったある日のことだった。その日は土曜日で沢田の妻が2人の子供を連れて泊りがけで久しぶりに実家に帰ると言うので沢田はどうしても抜けられない仕事の接待でゴルフに行くと嘘をついて私に会いにきてくれることになっていた。週末一緒に過ごせることなど愛人の私にとっては夢のまた夢のような幸せで、私はその日が来るのをどんなに心待ちにしていたか言葉では言い表せないほどだった。私が働いていた外国人パブ『パンパン』は平日仕事帰りのサラリーマン特に、はなきんと呼ばれていた金曜日の夜にたくさんの集客がありその反面で土日は割合と空いていることが多かったので私は思い切って土曜日にお休みを頂いて沢田と2人きりで過ごす週末に準備を整えていた。金曜日の夜はとても忙しくて酒もたくさん飲んでしまっていたが仕事を終えて店から戻ると私の疲れなどはどこかに吹っ飛んでしまい、ただ、ただ沢田に会いたい早く会いたい一心で私は朝早くから寝ずに部屋を片付け沢田のために手料理を作り始めていた。沢田の好きなビーフストロガノフと作りたてのポテトサラダを昼から食べて欲しくてまるで新婚気分にでも浸っているかのように私は一生懸命料理を作っていた。だって・・・だって私と沢田は不倫という関係ではあったがめでたく10年目の記念日も迎えお揃いの鳩のキーホルダーを持ちそして新たな歴史を永遠に刻んでいくに違いないと私は信じて疑わなかったのだから。朝の8時に『昼くらいにはそっちに行ける。』と沢田からメールが入ったので『待ってる。早く会いたい』と私は返信をした。しかし昼過ぎになっても沢田は私のアパートに来る気配がなかったので私は心配になり『どうしたの?何かあった?』とメールをした。いつもならすぐに返信があるはずなのだがその日に限って沢田からの返信は来なかった。そうは言っても時計を見るとまだ12時半だった。沢田は昼くらいに来ると言ったのにたったの30分も待てないくらい私は沢田に会いたくて会いたくて仕方がなかった。私は化粧を直し髪を梳かし深呼吸してから埃は落ちていないか、料理の味は大丈夫か、新しいシーツにとりかえたかなど沢田と過ごす最高の土曜日を演出する準備が完璧に出来ているかもう一度、一つ一つを点検した。テーブルの上に沢田に買ってもらったクリストフルの食器を綺麗に並べ沢田とお揃いで買った鳩のマスコットがついたキーホルダーを手に握り締めながらじっと沢田が来るのを待っていた。沢田と同じキーホルダー。そう思うだけでなぜかキーホルダーすら愛しくて切なくて私はいつまでも鳩のマスコットを手のひらの中で指でなぞるようにギュッと握りしめていた。1時になっても沢田が来る気配もなくメールの返信も来なかった。私は不安になった。事故にでも遭ったのだろうか・・・アパートにくる途中で事故にでも遭ったのだろうか。私はいてもたってもいられず外に出てみようと立ち上がった瞬間、私の携帯がなった。ディスプレイには沢田と書いてありそれは間違いなく沢田の携帯からの着信だった。彼からだ・・・嬉しさと不安の中で私の感情は泥水のようにぐちゃぐちゃになっていた。『もしもし、大丈夫?』私が心配してそう告げると一瞬、沈黙がありそして『もしもし、沢田です』と女の声がした。私はハッとした。奥さんだ。沢田の奥さんだと女の直感でそう思った。『知ってますよね?電話、お願いだから切らないでね。沢田の妻の、ミネコです。主人、携帯忘れていったのよ。それで、メール全部読ませていただきました。うフフフフフフ・・・・』私は凍りついた。突然の自己紹介。しかも尋常じゃないくらいの冷静な声。しかしその言葉の一つ一つは剣のように鋭くて氷のように冷たくて針のように尖っていて私は携帯を持つ手がわなわなと震えて黙ってしまった。ブチッ・・・つー・・・ツーそして、いきなり電話を一方的に切られてしまい私はその場に硬直した。何故か、私は母の事を思い出していた。父に浮気され愛人の美幸さんの存在を知った母の異常とまで思えるその行動が忘れかけていたあの忌々しい過去が再び私の脳裏に鮮やかによみがえり私は怖くてたまらなかった。会いたい・・・早く沢田に会いたい・・・・私を抱きしめて欲しい・・・すると今度は携帯がメールを受信した。沢田の携帯から送られたメールだった。『沢田の妻のミネコです。先ほどはお電話でごめんなさいね?さぞかし驚かせたでしょうね。私もバカじゃないので主人が浮気してることくらい知っていました。妙な香水の匂いをぷんぷんさせて帰ってきて悪趣味な鳩のキーホルダーなんて持ってて。でも、まさか10歳も年の離れた小便くさいただのホステスと浮気していたなんて少し安心しました。だって、ただの遊びでしょ?だったらいい加減、別れていただけないかしら?火遊びが過ぎると痛い目に遭いますわよ?今から会うんでしょ??分かっているのよ。ゴルフだなんて嘘をついて今からあなたと会うんでしょ?もう、バレてしまったのだからこれでおしまい。愛人の最後の誠意を示していただきたいですわよ。うフフフ』宣戦布告とも思える沢田の妻からのメールを読み私はこうなったら覚悟をするしかないと腹をくくって冷凍庫で冷やしていたウォッカを沢田に買ってもらったバカラのグラスに注ぎ何杯も何杯も飲んで沢田が部屋に来るのを待った。どれくらい1人で飲んでいただろうか。ピンポーンと、部屋の呼び鈴が鳴り急いでドアを開けると『ごめん、おそくなった。2人で飲むワインを選んでたらついつい・・・・』と申し訳なさそうな顔をした沢田がやってきた。『バカ・・・遅い』私は沢田の胸に飛び込んだ。私がどれだけ不安な気持ちで待っていたかなんて沢田は知らないのだ。『携帯・・・家に忘れてきたでしょ?おくさんから・・・あなたの奥さんから電話があったの!!』私は全てを話した。沢田は少し動揺した様子を見せたが『大丈夫・・俺が守ってやる』そう言って私を強く抱きしめてくれた。私は怖くてたまらなかった。でも何故か沢田に抱きしめられていると奥さんにバレたというその事実が余計に沢田に対する感情を燃え上がらせ以前にも増してさらに沢田を愛しいと思う気持ちと誰にも渡したくないという気持ちを私の中で沸々と昂ぶらせていた。それから何事もなかったことを装って沢田が買ってきたワインを飲みながら私が愛情を込めて作ったビーフストロガノフとポテトサラダを2人で食べた。味がしなかった。あれほどおいしく作ったはずのビーフストロガノフとポテトサラダ・・・でも、果てしなく無味で味気なくて食べた気がしなかった。きっと沢田も同じだったと思う。私は不安でたまらなかった。それに・・・沢田が家に置き忘れた携帯から妻のミネコが30分おきに私の携帯に沢田へと宛てたメールや留守続きをみる
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