第21話私は電車から降りて改札口を勢い任せで飛び出すと待ち合わせの場所に走って向かっていた。会社の近くのコーヒーショップで待ってる悟から待ち合わせの場所についてメールが入ったので悟を待たせないように・・・いや悟に一秒でも早く会いたい想いで私は息を弾ませて走っていた。ショッピング街のショーウィンドウに映る駆け足で走る私の姿はたぶん、人生で最高に輝いた笑顔をしていたに違いない。それほど私は悟から『2人きり』で食事に誘われたのが嬉しかったのだ。『ごめん・・・待った』コーヒーショップに入りすぐに悟を見つけた私はそう言った。『いや、待ってないよ』悟は笑顔でそう答えてくれた。いつもと同じ凛々しくて涼しくてたくましい悟がそこにいた。メールをくれてから15分以上は待っていてくれたのに嫌な顔もせずに私のことを待って入れくれた悟の優しさが私には何よりも嬉しかった。そして私たちはタクシーに乗り渋谷にあるイタリアンレストランに向かった。初めて悟と乗るタクシー。運転手はいるもののタクシーに乗るという事は何だかとても特別なそして親密な関係のような気がして私はドキドキしていた。悟と私は遠いようで近いような距離に座っている。こんなに近い距離にいても私たちは会社の同僚という関係でしかない。不意に私の視線は悟の手に向けられていた。(悟と手をつないでみたい・・・)恋人同士でもないのに手をつなぐなんてできるわけがない・・・でもタクシーという狭い空間が私の妄想を激しくかきたてた。私は悟に触れたくて触れたくて喉から手が出るほど悟の手を握りたい衝動に駆られていたのだ。そして私はタクシーが左カーブを曲がった瞬間にわざと悟の肩に寄りかかった。『あ・・ごめん』恥ずかしくて悟の顔が見れなかった私はうつむきながらそう言ったが悟は何も言わなかった。分からない・・・悟の気持ちが分からない。どうして急に私に連絡したのだろうか?話したいことって何だろう?私への告白??それなら凄く嬉しいけど・・・そんな風には思えない・・・悟と2人きりでいる嬉しさとちっとも近づかない2人の心の距離に対する心細さの間でゆらゆらと揺られていた。タクシーがイタリアンレストランの前で停まり私たちは店の中に入った。広くて落ち着いた店内。恋人同士が来るようなオシャレなお店で私は緊張した。こんなムードのある店に連れてきてくれるなら少しは私に気があるのかもしれない・・・少し暗めの店内の照明の中でテーブルの上で穏やかの炎がキラキラと光るキャンドルをぼんやりと眺めながら私はそんなことを考えていた。すると『何を飲もうか、俺、ワインとか全然分かんないし』ワインリストを頭をかきながらペラペラとめくりながら悟が言った。そんな悟のガサツで子供っぽいところも私の母性本能をくすぐった。年上の私は『じゃあ、ワインは私にまかせて?私が奢るから』とついつい出しゃばってしまいとにかく悟に美味しいワインを飲ませてあげたくて以前、ホステスをしていた頃に一度だけ飲んだことがあった1本、5万はするであろうサシカイアの97年を注文してしまった。そして私たちは乾杯した。悟はこの前の焼肉のことで私に申し訳なかったと謝った。本当は私だけを誘うつもりがユキと山村優子の必要以上の誘いを断りきれず仕方なくだったと謝ってくれた。私は気にしていないからと笑顔で答えた。そんな些細なことを気にするような女には思われたくなかったからだった。私は意地悪をしてあの夜、焼肉屋から出た後、ユキとまっすぐ帰ったのか聞いてみた。イヤ、本当は心配だった。悟の彼女からユキが悟に送ったメールの内容を聞いていたのでユキが悟とはホテルに入らなかったことを知っていたがでも、悟の口から真実を聞きたくて私はわざと悟が嫌がるような質問をしてしまった。しかし悟は『実はあの後、ユキに誘われてホテルに行こうって泣かれたんだけど断るのホント大変だったんだよ。』と、苦笑いをしながら答えてくれた。そんなことまで別に言わなくてもいいのに・・・私は悟がバカがつくくらい正直で嘘のつけない性格だという新しい一面を知ることができて嬉しくなった。それから私たちは何気ない世間話で盛り上がり本当に夢のような時間を過ごした。でも・・・私はずっと気になっていた。悟が言ってた話ってなんだろうと気になって気になって私は自分から聞いてしまった。『そう言えば・・・話って何だったの?』私は引きつりそうになった顔を無理に笑ってそう聞くと悟は少し黙ってしまいそして重い口を開くようにゆっくりと話をしてくれた。『実は・・・彼女とうまくいってなくてさ・・・』今、付き合ってる彼女と結婚しようと思っていたこと。プロポーズをしたが今は結婚できないと断られてしまったこと。それから2人の関係が少しずつギクシャクしてしまったこと。私は山村優子が見せてくれた悟のホームページに書かれた日記を読んでいたしついさっき、悟の彼女から聞いた話で何となくの事情は知っていたが何もうまいアドバイスが出来ずにただ、頷いて話を聞いてあげることしかできなかった。そんな自分の不甲斐なさがもどかしくて私はワインをどんどん飲んだ。悟は『一番の原因は彼女が・・・アイツが俺の夢を理解してくれなかったことかな・・・』悲しげな表情をしてそう言った悟を抱きしめてあげたい。私はそう思った。悟は知らない。さっき、悟の彼女が悟の夢を応援する決意をしたことも悟ともう一度はじめからやり直そうと思っていることも悟は知らないのだ。(今がチャンスだ・・・)私の頭の中で悪魔が囁いたような気がした。私は悟に『私だったら悟くんの夢、どんなことがあっても絶対応援するんだけどな』と言った。少し真剣な表情を浮かべていた悟はまたいつもの笑顔になって『ありがとう』と言った。私は恥ずかしさと嬉しさとワインで少し酔ったせいかまたワインをガブガブと飲んでしまいいつの間にか記憶が飛ぶほど酔っ払ってしまっていた。 どれくらい時が経ったのだろうか。気がつくと私は暗い沼地のようなところを何かに追われるように歩いていた。さっきまで悟と一緒にいたはずなのにどうして私は一人こんな沼地を歩いているのだろうか・・・どこで道に迷ってしまったのだろうか。私は歩きにくい沼に足を取られながら必死に歩いていた。『幸子ねえさん~姐さん・・・』遠くで誰かが私を呼ぶ声がした。『だれ?誰なの?』私は振り返ってみたが誰もいない。再び歩き始めると『姐さん・・・幸子姐さん・・・』と誰かが私を呼ぶ声がした。『だれ??誰??』どこかで聞いたことのある声だな・・そう思っていると突然、沼の中から手が出てきて私の足首をギュッと掴んだ。『きゃあああああ私が悲鳴をあげると沼の中からお凛ちゃんが顔だけを出して私の足に必死にしがみつきながら『一人で幸せになんてならないでね・・・絶対に幸せになんてならないでね・・・と何度も繰り返し繰り返し私に訴えかけてきた。『きゃあああああああああ私は怖くなって悲鳴をあげたと同時に目が覚めた。『大丈夫?うなされてたみたいだけど』悟が私の傍に近寄ってくるのが分かった。『ここは?』そう言って私はベッドで眠っていたことに気がついた。ハッとした。どうして私がベッドの中に?うろたえる私に悟は事情を説明してくれた。私がワインを飲みすぎて歩けないほど泥酔してしまったこと。そして私を休ませるために近くのビジネスホテルに私を連れてきてくれたこと。もちろん、何も変なことはしていないという一言もつけて。私は恥ずかしくて死にたくなった。そんなこと全然覚えていなかった。せっかく悟が誘ってくれたのに。そして悟の相談に乗るつもりだったのに。なのになのに・・・記憶なくなるくらい酔っ払って悟に迷惑をかけて・・・そして私はイタリアンの会計も払ってないことに気がついた。『ねぇ・・・私お金払ってないよね?ワインは私が奢るって言ったのに・・・いくらだった?』5万はするワインを私一人でほとんどあけてしまったのに悟に払わせたままにしておくわけにはいかなかった。『いいよいいよ』悟は笑ってそう言った。『でも・・・』悟は私からお金を一切受け取ろうとはしなかった。私って最低な女だ。私は気分が悪くなった。それに・・・それに・・・・ホテルにまで来て私は服を着たままベッドに寝かされて・・・それって女として魅力がないということなの??ホテルまで行ってユキを断ったと同じように私も全く脈がないということなの?私は焦ってベッドから飛び降りて気がつくと悟に抱きついていた。『お願い・・・抱いて』悟の胸の中で私は必死に抱いてくれるようせがんだ。もう、重い女とか我慢する女とか計算する女続きをみる
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